禽ノ哭ク刻サイドストーリー「ミクリヤ」
 ■ショクザイ■


私は急いで玄関の鍵を閉め、窓の鍵を閉め……そして、退魔の短刀を手に取る。
施設は山間部にあり、ここは閑静な住宅地だ。
子供の足ですぐさま来れる距離ではない。
だが、私は不気味なあの子に襲われる自分を想像し、短刀をぎゅっと握った。



◇◇◇◇◇

痛いのは、キライだ。

辛いのも、キライだ。

全部、キライだ。


ぼくは、ずっとじっとしていたかった。

何でかは分からないけれど、お腹は減らないし、眠くもならない。
だから、放って置かれても、別に良かった。
ぼくはもう、動きたくなんてなかったから。
何も考えたくなかった。ずっと座っていたかった。

でも、車に乗せられて……ぼくは山奥へ連れて行かれた。
今日からは、ここに住むことになるらしい。
新しいお母さんたちとは、もう会うこともないらしい。
お母さんたちは、ぼくの世話をするのが面倒になったそうだ。

別にどうでもいいし、どこでもいい。
静かにしていられるなら。
ぼくは別に、あのお母さんやお父さんが、好きでもなかったから。
顔もよく覚えていないし、声もよく覚えていないほどだ。

新しい住処。山奥の、学校みたいな建物。
ぼくはまた、ここのどこかでじっとしていればいい……。

そう思っていたのに、ぼくは走ったり飛んだりしろと言われた。
大人の人が、座っているぼくを引きずって、外へと連れ出した。
ここはオニガリのイクセイキカンだから、タンレンをしなきゃいけないらしい。
その大人の言うことはよく分からなかったけれど、とにかく今は走らなきゃいけないらしい。

やりたくなかった。だから黙って座り込んだ。
そうしたら、殴られた。蹴られた。また殴られた。
痛いのはキライだ。だから、言われるとおりにした。
ぼくが走ると、大人は満足そうに笑った。
動くのは面倒だけれど、ずっと殴られるのもイヤだった。
決められた量をこなせば、あとは自由にしていていい。
そう言われたから、ぼくはさっさとその『宿題』を終わらせて、部屋に戻った。
タンレンの時間以外は、ずっと部屋でじっとしていた。
静かだった。山奥はいいかもしれない……。車の音とか、うるさいのがない。

そんなぼくの静かな時間は、同じ年くらいの子どもに壊された。
ここはイクセイキカンだから、ぼくいがいにもたくさん子どもがいた。

「お前、生意気なんだよ。無名のくせに」
「………………」

ぼくは、オニガリのカケイの子どもじゃない。
だから、あんまりはやく走ったら、いけない。
他のオニガリのカケイの子に言われた。
名家の子どもに、無名の子どもが勝ったら、ダメ。
生意気なことをしたら、殴るかなら。
そう言って、他の子はぼくを叩いてから帰って行った。
叩かれるだけでも痛いし、うるさいのはイヤだ。
だから、ぼくはゆっくり走った。
そうしたら、大人に殴られた。真面目にしろと言われた。
大人に殴られる方が、子どもに叩かれるより痛い。
だから、ぼくはちゃんと走った。
そうしたら、子どもに殴られた。生意気だと言われた。

…………どうしよう?
真面目に走らないと、大人に怒られる。
でも、真面目に走ると、他の子どもに怒られる。

…………どうしよう?
結局、ぼくは山の中に逃げた。

ぼくは別にオニガリになんて、なりたくもない。
走りたくもないし、殴られたくもない。
静かにしていたい。ただ、それだけ……。

だから、逃げた。
走って、歩いて、また走って、大きな木の枝に上って。
そこでうずくまって、じっとしていることにした。
月が綺麗だった。静かだった。ずっとこうしていたいと思った。

でも見つかって、連れて帰られた。
大人に怒られた。子どもには笑われた。
もう、いやだった。
ぼくは静かにしていたかっただけなのに。

「逃げ出して、見つかって。うっわ、馬鹿じゃねぇ?」

ぼくは皆にいじめられた。叩かれた。殴られた。
真面目に走ったら、怒るくせに。
ぼくが逃げても『情けない』と怒る。
みんなは、ぼくに、どうしてほしいんだろう?

「――――――あぁ、もう……いいや」

ぼくはここに来て、初めてしゃべった。久しぶりにしゃべった気がした。
あの怖いのが誰かに殺されてから、初めて声を出したような気がする。
久しぶりに出た声は、ひどく枯れていて……自分でもよく聞こえなかった。

でも、ぼくを取り囲んでいた子どもには、聞こえたらしい。
怒られた。勝手にしゃべったから、生意気だと言われた。
ずっと黙っていて、気味が悪いと怒るくせに……。

ここにいる子どもは、オニガリを目指している。
化け物を退治する人のことらしい。
でも、こいつらより、もしかするとあの怖いやつの方が、優しかったかもしれない。
あいつはぼくの父さんと母さんを食べちゃったけど……。

「……………」

ぼくは、ぼくを囲う子どもを見た。
真面目に走ったら怒られる。
真面目に飛んだら怒られる。
つまり……真面目にやったら、ぼくの方が速くて、ぼくの方が高く飛べる。
だったら――――――……?
こいつらは自分たちのことを偉そうに名家の子だと言うくせに、無名のぼくより弱いんだ。
じゃあ、ぼくが、どうして、こいつらに殴られて黙ってなきゃいけないんだろう?

ぼくは静かに、じっとしていたいのに。
皆、そうさせてくれない。
だったら、させてくれるようにしよう。
殴ってくるなら、殴ってこないようにしよう。
蹴ってくるなら、蹴ってこないようにしよう。

「ぼくは、自分のしたいようにする」

お前らなんかに、邪魔されたくない。
ぼくが静かにしていたのを邪魔するなら……ぼくもやり返してやる。
お前らなんかに、ぼくは負けない。
お前らなんか、別に怖くもなんともないんだから。
だって、こいつらは爪も牙も、刀も何も持ってないんだから。

◇◇◇◇◇

結局…………あの子はその翌日に、山間部で捜索に狩り出された職員により発見されたそうだ。
逃げた理由は、明確には分かっていない。
ただ一言『もう、いやだ』とだけ言ったそうだ。
何が嫌なのか。訓練か? それとも、もっと他の事なのか……。
色々と詳しく聞きたかったが、昨日の今日で施設側も色々と大変らしい。

子供が一人、ただ逃げ出しただけだと言うのに、そこまで何が大変なのか。
あそこには名家の子供が、基礎訓練と集団生活を学ぶために預けられていたりもする。
そのうちの何人かが、訓練中に大きな事故でも起こしたりしたのだろうか?
色々と考えるが、結局私にはあの子を発見したこと以外、まともな情報が与えられなかった。
ある意味、子供を追放した母親には見合った情報量なのかもしれなかった。

あの子のことを考えると、ふとこんなことが思い浮かぶ。
もしもあの子が『家に帰りたい』と言ったなら、それはきっとここではないのだろう……と。

あの子の言う家は、あの子の帰りたいと願う家には、きっともういないはずの……本当の両親がいるのだ。
私はつい、あの子について考える時に、忘れてしまうことがある。
多分、希望の家の職員も皆、忘れがちだと思う。
だが、忘れてはならない。あの子はあくまで、普通の子供なのだ。
邪に襲われる前は、ごく普通の子供だったのだ。
邪狩りの家系に生れたわけでも、なんでもないのだ。
つい、あの子の持つ空気に、それを忘れがちになってしまうけれど……。

私は邪狩りだけれど、平和な空気しか嗅いだことがない。
戦闘で前線に立ち、邪と激闘を繰り広げたことなどないからだ。
ついでに言えば、希望の家のような育成機関で訓練を受けてさえいない。
ただ邪の存在を知り、ほんの少しだけ力を持っているだけだ。
言ってしまえば、ほとんど一般人と変わらない。
だから……あの子の持つ雰囲気に違和感を感じ、忌避したのかもしれない。

あるいは、邪になるかもしれないという情報を知っていたが故に、
先入観でその違和感を『不気味』や『怖い』などと感じたのかもしれない。

私は紛争地帯に、行った事がない。親をなくした子供にも、会った事がない。
仮に紛争地帯などで親をなくした子と出会ったなら、
私はその子らにあの子と同じ空気を感じるのだろうか?
平和な場所に生きた私には共感できない、殺伐とした違和感を……。

――――――だとすれば、私は……最低だろう。

あの子は『もう、いやだ』と言ったそうだ。
それは、助けてほしいと言うサインだったのかもしれない。
しかし、私はあの子が逃げている間、ずっとあの子を殺すための武器を握っていた。
……私は、一体、何なのだろう?

私の心には、しこりが残った。

それは時間が経っても、消えてくれなかった。
それはどんなに悩み考えても、消えてくれなかった。
当然だろう。私だけの問題ではないのだ。
私はあの子に、罪悪感を感じているのだ。
ならば私が一人で何をしようとも、そのしこりは消えない。
私はあの子に、もう一度会う必要があるのだろう。

しかし、実際に会うことはなかった。
何度も会おうとは思った。
しかし、踏ん切りがつかなかった。
そしてずるずると――――――今日この日まで、時間は過ぎていたのだ。

だから私は、会いに来た。

今日という日に、あの子の通うこの中学校にまで、足を運んだのだ。

息子とは思えない、あの子。
ただただ、辛く当たった思い出しかないあの子。
私の人生の、罪悪感の象徴のようなあの子。



そんな雪は私を見て、営業的にではあるけれど……笑顔を浮かべていた。












 ■続く■