禽ノ哭ク刻サイドストーリー「ミクリヤ」
 ■シネバイイノニ■

座っていたら、無理やり立たされた。
そして車に押し込まれて、どこかに連れて行かれた。
こっちが車から降ろされるのを、二人の大人が見ていた。
何か、気持ち悪いものを、見るような目で。

「今日から、私が……貴方の……お母さんよ……」

二人の大人の、女の人の方。
やがてそっちが、そう言った。
おかあさん?
ぼくのお母さんは、こんな女の人じゃない。
ぼくのお母さんは、おとうさんと一緒に、食べられたのだから。
だから、もう、いない。
でも、この女の人は、自分をお母さんだと言う。
他の人の顔を見ると、皆が頷いて、こう言った。

『新しいお母さんだよ。君は今日から、ここの家の子なんだ』

…………今日から?
じゃあ、また少ししたら、このお母さんも死ぬの?
怖いのに首と身体がバラバラにされて、いっぱい血を出して。
そして怖いのが、また僕を連れて行って、そしてまた……くりかえし?
このお母さんが死んだら、また新しいお母さんに会うことになるの?

だったら、新しいお母さんなんて、いらない。
みんな、死んじゃうんなら、近寄ってこないで欲しい。

ぼくはもう、誰かが死ぬのなんて、見たくない……。
ひとりで、もう、ずっと、じっとしていたい……。

◇◇◇◇◇

…………私は、過去を胸中に思い浮かべる。

雪との対面。それはあの日の電話よりも、ある意味では印象に濃い。
いや、人の出会いだけに関して言えば、私の人生の中で一番印象に残る記憶だった。
友人との出会いや、夫との出会い。様々な出会いを、私は繰り返してきた。
その数々の出会いを振り返っても、やはり雪との対面は異質だった。
どこの世界に、顔を合わせるだけで大人を絶句させる子供がいるものか。
いや、この星の上は人間にとっては広過ぎる。
もしかすると、雪以上に不気味な子供も、多くいるのかもしれない。

けれど、私の知る世界に、雪のような子供はいなかった。
小学校でも、中学校でも、高校でも、大学でも。
街中でも、路地裏でも、公園でも。
遊びに行った友人の家でも。
こんな子供を目にした事は、なかった。



――――――私は雪を見つめながら、固まっていた。



雪は、想像以上に恐ろしかった。
どこが、と言うことはない。
写真で見れば、白髪以外に目を引く箇所のない子供だろう。
事実、そうだった。
先に貰った資料写真では、無表情な子供だと言うくらいにしか、思わなかった。
だが、今はどうだろう? 雪からは、不吉な何かを感じる。
本部が観察するべきだと言ったことも、今なら納得が出来る。
あぁ、これは必要とあらば、殺すべきだ。そう、思う。

「今日から、私が……貴方の……お母さんよ……」

用意しておいた台詞は、やけに軽く聞こえた。
感情はこもっておらず、ただ発しただけと言う風情だった。
仕方のないことだった。私は、人間として、この子の親になりたくはないと思った。
化け物の母親になりたいと思う女性が、どこにいると言うのか?
背中を見せれば、すぐに首筋に噛み付いてきそうな子供に、どう接しろと言うのだろう?

いや、間違いのないように言っておくと、凶暴そうに見えるわけではない。
熊や狼や……獅子や虎でもいいが、とにかくそう言うものの持つ凶暴さは感じられない。
そんなに分かりやすい何かならば、どんなに気が楽だっただろう?
雪はただただ、得体が知れなかった。

「………………」

雪は何も言わずに、私を見た。表情はない。目に光もない。
人形のような……と言う表現があるが、人形の方がマシだろう。
世の中にある多くの人形は、動かない。こちらに危害を加えない。
けれどこの子は、自分の足で歩けて、こちらを襲うかもしれないのだ。

私たちと雪の対面は、異様な空気をまとっていた。
そしてその空気は、その後の生活でも延々と維持されていく。
あの子は常に無表情で、無機質で、無口だった。
こちらが観察しているはずなのに、むしろされているような気さえしてくる。
一体何を思って、あの子はこちらを眺めるのだろう?
無機質ではあるが、何事にも興味がないわけではないはずだ。
私たちが話しかければ、ゆっくりとだけれどこちらを向くのだから。
…………この子は私たちにも、怯えているのだろうか?
そう思うこともあったが、しかし分からなかった。

雪は基本的に、与えられた部屋でうずくまっていた。
まるで即身仏になろうとする修行僧のような子供だった。
絵本やおもちゃには、手を出さなかった。
こちらが無理に持たせれば、持つ。
だが、そのうちに手の力を緩め、その場に落とした。

雪は基本的に、何も食べようとはしなかった。
もしかすると、本当に即身仏になりたかったのかもしれない。
こちらが無理に口に押し込めば、食べる。
しかし、やがて苦しそうに食べ物を吐き出した。
精神的なショックにより、拒食症にもなっているのかもしれない。
その後、私は本部に『そちらで保護していた間はどうしていたのか』と尋ねた。
回答は点滴と流動食との兼ね合いということだった。
多くの栄養を取るべき時期にこれでは、まともな身体になれないのではないか?
そう思ったが、しかし本人に食べる気がないのでは仕方がない。
私は何度か病院へと足を運び、点滴を受けさせた。
もっとも、不思議なことに『栄養失調の兆候はないですよ?』と、医者に言われた。

何も食べないで、この子はどうやって生命を繋いでいるのだろうか?
やはり、半ば邪になりかけているのか?
疑問は尽きなかったが、しかし本部にはその疑問を報告しなかった。
人体とは、不思議なものだ。
時にはあり得ないと思うような現象さえ、起こすと言われている。
だから……もしかすると、もしかするかもしれない。
食事をしなくても、生きていけるかもしれない。
腸内細菌のバランスが変化するとか、しないとかで……。
そうだ。邪に襲われると言う精神的なショックもあったのだ。
何か特殊な自閉的冬眠状態なのかもしれない。
実際、あまり活発に動き回っているわけでもないのだから……。

私はこの頃、まだ雪に好意的だったのだろう。
あるいは、自分の疑問だけで一人の子供が死ぬことを拒んだのか。
どうにしろ、まだ世話をする気があったのは事実だと思う。

しかし、雪は心を開いてくれない。
だからだろうか? 歯車はだんだんと狂いだしていた。
いや、最初から狂っていたのだろう。やはり、あの電話が鳴った日から。
元々は夫婦二人の生活だった。歯車は二つだった。
そこに小さくも一つの歯車が加わったのだ。無理が生じないはずがない。
しかもその歯車は得体が知れないのだ。歯の数も、不明なのだ。
狂わない方が、どうかしていた。

何も言わない。何もしない。
何を考えているのか、分からない。
そんな雪という存在が、私はいつの間にか疎ましくなった。
雪の部屋は負の感情が立ち込めているようで、近づきたくなかった。

だから、私は放置した。自分の息子となった子供を。
子供を放置して餓死させる親が、ニュースで報じられることがある。
虐待だと人々は騒ぎ、そして子供の死を悼む。
私も痛ましいことだと、報じられるたびに思った。
だが、それでも私は放置を実行した。罪悪感は、なかった。

最初は、1日。
次に、3日間。
最長で、2週間近く……。

私は雪を放置した。
しかし、雪は変わらずに部屋にいた。ずっとそこにいた。

襲ってくると言うことはない。
けれど、変わらずにそこにいる。
何も食べずとも、死なない。
そう、どれだけ放置しても死んでくれない。
あぁ……放置すればするほど、雪が不気味に思えてならない。
だっておかしいでしょう? 死なないのよ? 
普通の子供なら、いくらなんでも…………。

2週間、飲まず喰わず。
それに限っていえば、耐えることは何とか可能かもしれない。
しかし、雪は2週間だけ何も食べなかったわけじゃない。
本部に保護されてから……いや、邪に襲われて以降、まともな食事などとっていないはずだ。
正確にそれがどれだけの期間になるかは分からない。だが、一ヶ月以上であることは確かだ。
途中途中に点滴を受けたことがあったとしても、生きているのは『不自然』ではないだろうか?

やはり、アレは邪なのではないだろうか?
やはり、人を喰らう化け物になるのではないだろうか?
そう考えていた私は、気付くと退魔の短刀を手にしていた。
じっと……そのあの子を殺せる凶器を見つめていた。
私は、あの子を、殺してしまうかもしれない。
いや、もう、殺してしまいたいのかもしれない。
あの子はそこにいるだけで、何もしていないと言うのに。

本当にあの子は邪なのだろうか?
今の私の方が、よほど邪じみてはいないだろうか?
どうして私は、こんなにあの子を嫌うのだろう?
何も言わないからか? 笑わないからか? 動かないからか?
怖いから…………得体が知れないから……だからだろうか?
そんなことでは、いけない。いけないはずなのに……。











――――――結局、私たち夫婦はあの子を放逐した。


 ■続く■