禽ノ哭ク刻サイドストーリー「ミクリヤ」
 ■文化祭■

その時――――――ある一人の生徒に、私たちの目は釘付けになった。

会議開始から沈黙を守り続け、もしかすると終了まで一言も声を発しないのかもしれない。
そう考えられていた人物が自ら挙手し、立ち上がり、今にも意見を述べようとしていたのだから。
一体、何を言う気なのだろう? 会議の進行を見守っている先生の目からも、興味の色が見て取れた。

文化発表会実行委員会……つまりは、私たちの中学校の文化祭を取り仕切る委員会である。
各クラスから1名が選出され、様々な仕事をこなすためにこの委員がいるわけである。
例えば……入場ゲートの作成から、体育館の使用時間の割りきめなどである。

皆が皆、熱意に満ちているわけでもない。
と言うか、私だって文化祭に燃えているわけじゃない。
しかし、あの生徒――――2年なので先輩だ―――ほど、どうでもよく思っていない。
どうせなら興味のある仕事がしたいと、つい先ほども撮影班の仕事に立候補したばかりだ。
撮影班は文化祭の光景を、その名の通り撮影する役職だ。
文化祭期間中にカメラを持って、遊びながらに写真を取ればそれで事がすむ。
それに、よい写真は卒業アルバムにも使用されるかもしれないと言う、実に楽しそうなお仕事だ。
少なくとも文化祭終了時の清掃班よりは、ずっといいと思う。
そもそも美化委員会がいるのに、何故実行委員会が清掃するのか……。ちょっと納得が行かない。
――――――ちなみに、撮影班は希望者が多かったので、じゃんけんとなった。
私はあっさりと敗退し、他の何の仕事に就くかを吟味中である。
残る役目は先に言った清掃班などの、面白みもない雑務ばかりだ。

さぁ、そこに来て……件の先輩である。一体、何を言うのだろう?
その瞳からやる気のなさは見て取れるので、まさか清掃班には立候補しないだろうし。
ちなみにこの時の私は知らなかったが、このやる気のなさそうな先輩がこの会議にいる理由は、
HRをサボって図書室で眠りこけていたら、面倒な役目をクラスメイトに押し付けられたらしい。
先輩自身も、ついでにそのクラスメイトも、つくづくいい加減な人たちである。
そのことを後に知った私は、先輩のクラスの出し物は一度見てみようと心に決めた。
私にやる気がないと言うわけじゃない。ないけれど……
どのくらいまで手抜きをしていいのかは、ちょっと気になったりもする。
やっぱり飾りつけとか、面倒くさいし……。

そんな後ろ向きな考えと、先輩の発言内容はちょうど正反対だった。

「新たな役職部門設立を、ここに提案します」

一番やる気のなさそうだった先輩からは、やる気のある言葉が紡がれる。
何しろ先輩はこの忙しい時期に来て、自ら新しい仕事を一つ増やそうと言うのだから。
私以外の皆も、この発言は予想外だったらしい。
反応らしい反応は起こらず、会議室の中がしんと静まり返る。

「私は2年生であり、昨年も文化祭に参加しました。
 その時から一つ、気になっていたことがあったのです。
 それは文化祭時には、校外からお客様がやって来ると言うのに、案内者がいないことです。
 もちろん、入場ゲートで配布されるパンフレットには、校内の簡略図が記載されています。
 また校内の各所には、客寄せ目的の看板や飾りつけもなされると思われます。
 しかし残念ながら、それはやはり分かりにくいものだと思われます。
 そう。毎日通っているわけでもない人からすれば、分かり辛いものなのです。
 デパートの従業員は売り場の配置を把握し、案内板など見向きもしません。
 ですが、初めて訪れた客は、案内板を見ても戸惑うことがあります。
 迷った経験が一度もないと言う人は、この場にもほとんどいないでしょう?」

先輩はつまることなく、まるで演劇の一幕であるかのように、すらすらと言葉を並べる。
妙に丁寧なその口調も、しかしこの場にはひどくあっている気がした。
確かに、先輩の言うことは一理あると思う。私は初めて行くデパートで、迷わない自信はない。
方向音痴だとは思わない。ないけれど……やはり、図と実物は違うと言うか……。

「案内委員。接待委員。まぁ、名称は何であろうと構いません。
 とにかく、文化祭当日にお客様を案内する人員が必要でしょう」

こうして実行委員会傘下に、新たに接待委員なる役職が、今年度の文化祭から誕生した。
他の役職が班であるのに対し、委員。言葉だけみると、少し偉そうな気もする。
まぁ、文化祭期間中の拘束時間がそれなりに長いので、班扱いは可哀想だと
会議を見守っていた先生が呟いたからそうなっただけなのだが。

何の因果か―――先輩の視線の先にいたからか―――私は接待委員の副委員長になった。
ちなみに言うまでもなく、新設の提案をした先輩自身が委員長である。

実行委員会議が解散し、それぞれの班での細かな打ち合わせが始まる。
所属する人間がわずか5名と言う、我らが接待委員も、打ち合わせを開始する。
会合場所は会議室を離れ、先輩の教室である2−Cだった。

「じゃ、腕章に接待って書こうか」

先ほどの緊張感はどこへやら。
先輩は砕けた口調で腕章を机の上に放った。
私たちはおのおの、太目のマジックで腕章に『接待委員』と記入する。
ちなみに腕章とマジックは、ここに来る前に職員室で受け取ってきたものだ。
委員長命令を受けた、副委員長の私が。

「はい…………書けましたよ、先輩」
「よし。じゃあ、終了。解散」
「――――――あ、あの? 早くないですか?」
「他にすることもないし。当日に突っ立つだけだよ?」
「まぁ、そう言えばそうですけど。あの、その立つ順番とかは?」
「基本的に、俺がずっと立ってるよ。他の皆はテキトーで」
「いいんですか?」
「別にわざわざ見て回りたい展示もないしね」

私たちの打ち合わせは、赤く目立つ腕章にたった四文字だけを書き込んで、終了した。
これ以上するべきことと言っても、確かに今は特に何も思いつかない。
えーっと、しいて言えば……どういう経路で案内すればいいかとか、敬語の練習とか?

「いやぁ、でも、これでのんびり出来るね。準備期間は何もしなくていいし。
 当日もただ立ってるだけだし。実際、案内が必要な人なんて、そういないよ。
 来るのは基本的にいい年した大人なんだし、自分たちでどうにかするでしょ?」

委員会の新設提案時に、アレだけはきはきと意見を述べていた先輩は、どこに行ったんだろう?
先輩は腕章をポケットにしまいこむと、欠伸をしつつ教室を去ろうとする。
どうやら、先輩の中では本当に打ち合わせは終了したらしい。
この先輩には委員長なんて似合わないなぁ、と思った。
ついでに、ふとあることを思う。

「もしかして、清掃班とかをやりたくなかっただけですか?」

私の呟きに、先輩は『あははは』とだけ笑った。
行動力があるのか、ないのか。
この先輩はよく分からない人だなぁ……。

結局、私たちは本当に準備らしい準備もしないまま、文化祭前日を迎えた。
――――――あっ、私はクラスの出し物とか、他にも色々やりましたよ?
あの委員長らしからぬ先輩は、どうか知りませんけど。

だから明日には文化祭と言う最終調整中に、私は2−Cを訪れてみた。
当日になれば色々と忙しいから、どうせなら混んでいない今の内に……と思ったのだ。

「どうかな、副ちゃん。この飾り、すごくいい感じだと思わないかな?」

先輩は私を見つけると、そこはかとなく誇らしげに、声をかけてきた。
意外にも、先輩のクラスの飾りつけは学校内で一番巧みかもしれなかった。
何でも先輩は工作が好きで、手先も器用らしい。
そこで、クラスの皆を率いて飾りつけに励んだらしい。

ちなみに展示内容は『音楽史のまとめ』と言う、かなり地味なものだった。
飾りで展示を彩っているのか、飾りのおまけとして展示物があるのか……。
「何かクラス全員、飾りだけに夢中になっちゃってさー」

肝心の展示内容は、今つい先ほど、テキトーに紙に書き込んで張っただけらしい。
マジックの色を使い分け、カラフルに情報を書き込んであるけれど……
うん、確かに内容は途轍もなくどうでもよさそうだった。

ところで、モーツァルトの死に際についてだけ、やたらと詳しく書かれているのは、何故だろう?
神童と呼ばれた頃の逸話や、曲紹介よりも多くのスペースを取っているのだけど……?

「真面目なのか不真面目なのか、よく分かりませんね」
「いやー。やりたいことをやってたら、こうなっちゃって」

くすくすと笑う先輩は、まったく悪びれていなかった。

「さて、明日は俺も委員会の仕事を頑張ろうかなー。立つだけだろうけど」

頑張る気があるのか、ないのか。
いまいち判然としない内容を先輩は口にした。
その顔は、やはり穏やかな笑みが浮かんでいた。


◇◇◇◇◇



その学校に通う生徒の、日頃の行いがよかったのだろうか?
週末に行われる鹿角市立中学校・第32回文化発表会……いわゆる文化祭は、両日ともに晴天に恵まれていた。
手作り感溢れるゲートや飾り付けは、どこか見ていて微笑ましい。
例えば……折り紙で出来た鎖飾りの造りを眺めているだけで、製作過程が目に浮かぶ。
張り切る者もいれば、怠ける者もいただろう。どちらかと言えば、この区画は前者が多いらしい。
飾りが均等に切り分けられ、色の配列にも凝っているのだから、やる気があったのは疑いようもない。
自分が中学生だった頃は、どうだろうと振り返る。
……クラスの男子どもが、私たちに作業を押し付けて、さっさと帰ったこと思い出す。
別に今さら腹は立たないが、きっと私と同じ目に遭っている生徒もいるのだろう。

「――――――と、こんなことをしている場合じゃないわね」

何でもない飾り付けをぼうっと眺め、私の思考はおかしなところに飛んでいたようだった。
それは多分、現実逃避に似たものだったのだろう。幸い、誰も怪訝そうに私を見はしなかったが。
周囲を通り行く私と似た年代の人間の中には、同じような反応を見せる者も何人かいたらしい。
まぁ、今日この学校を訪れている大人は、基本的にここに通う生徒の親であり、保護者である。
普段の子供の学校生活に思いを馳せ、思考の海に沈んでいても、別に不自然ではない。

ただ…………私自身に限って言えば、非常に不自然だ。
例えきちんと髪を整え、スーツを着、文化祭案内用のプリントを手にしていたとしても。
何故なら今の私は、ここに通う生徒の親でも保護者でも、ましてや家族でもない。
そう、私は親にも保護者にも、家族にもなろうとしなかった女だ。

「すごい髪だな、あの子。いいのか? 校則違反だろ」
「んー? あぁ、いいの。御厨君のは地毛なんだって」
「そうなのか。こんなこと聞くのもなんだが……病気か?」
「そこまでは知らないけど、でも、学校はよく休むかな?」

名前も知らない女子生徒とその親が、私の傍らでおしゃべりをする。
そしてその視線は、廊下の奥に立つ一人の男子生徒に注がれている。
真っ白な……見ようによっては銀にも見える髪を持つ少年だった。
そして、私と同じ苗字を持つ少年でもあった。

「……変わったわね」

気付けば、そう呟いていた。そう、そうだ。変わった。
ぼうっと眺めるだけならば、初めて会った日から何も変わっていないように思える。
しかし、違う。背はあの頃よりも伸びたし、その身も学校指定の制服に包んでいるのだから。
自分の知る小さな子供は、もういない。いるのは一人の少年だった。

私は一歩一歩、その目立つ白髪に向かって歩み寄っていく。
歩み寄られている向こう側は、私には気付かずに周囲の生徒と何かを話していた。
その腕には『接待委員』と言う、いまいち判然としない役職名が輝いていた。

「ちょっと、いいかしら?」
「あ……はい?」

私が声をかけると、あの子はゆっくりと振り返った。
うっすらと柔らかな笑みを浮かべ、小首を傾げてくる。
あの頃からは考えられないその反応に、私は一瞬、声を失った。


◇◇◇◇◇



あの日あの時に鳴った電話が、私の人生を大きく狂わせることになった。
それはもう何年も前の話だと言うのに、私は今も色濃く覚えている。
忘れるはずがない。形式上は打診だったが、しかしあれははっきりとした命令であった。
子供のいない私と夫に、一人の子供を息子として迎え入れろと言う、そんな命令だった……。

結果から言えば、私たち夫婦はその命令を受け入れ、一人の子供を引き取った。
そして、同じ屋根の下で生活をともにした。
それは一年にも満たない、実に短い一時だった。それ以上は……続けられなかった。
何故なら、私はその子供を息子だなどとは、とてもではないが思えなかったから。
何故なら、私はその子供が不気味で……怖くて怖くて仕方がなかったから。

私の家にやって来たその子供は、名前を雪と言った。
まるでその名前を体現するかのように、真っ白な髪を持っていた。

雪が家にやって来るまでの経緯は、少々複雑だった。
そして厄介なことに、その経緯には一般には知られない裏の世界の事情まで絡んでいた。

この世には、邪と言うモノがいる。
人を喰らい、血をすする怪物だと思えばいいだろう。
科学万能の時代などと言われているが、そんなものは錯覚に過ぎない。
現代の先進国家の人々が知る世界の常識は、全て砂上の楼閣だ。
世界は、この星は、実はもっと混沌としている。
世界を支配する法則も、基本的には全て近似的なものでしかないのだ。
極論を言えば、世界の法則などと言うのもは、古代の哲学からそう発達していないくらいだ。
人はただ、夜の闇の中に火を灯し、魔の者の住まう空間を削ったに過ぎない。
だからちょっとした闇には、必ず何かが住んでいて、私たち人間を狙っている。

そんな闇に潜む邪に襲撃され、親を失い、一人だけ生き残った子供……それが雪だった。
すでに邪を狩る者として名を上げていた鬼流の嫡子が、一体の邪を屠った折に雪を発見したらしい。
保護した当初は、人の片腕を抱えてうずくまっていたので、生成りも懸念されたそうだ。
…………えぇ、そう。生成りだ。
それは、人が邪へと変わってしまうことを指す。
邪にさらわれ、邪に密着し、精神がイかれ……そのうち邪に化けて人を襲いだすかもしれない。
そんな子供を、邪を狩る者の組織本部は、私たちに預けたのである。
まったく、何と言うことだろうか?
そんな気味の悪い子供を、誰が喜んで引き取ると言うのか?

そもそも身分不詳の子供であっても、その親類縁者を見つけることは難しくない。
例え雪がまともに話せなくとも、情報はいくらでもあったはずだ。
労力を惜しまず、ここ最近に謎の失踪を遂げた一家を調査すればいい。
10件も当たれば、雪に関係しそうな事件が浮かび上がるだろう。

だが、本部はそうしなかった。
やはり、突然生成る危険性が否定し切れなかったためだ。
邪となって暴れるかもしれない存在を、野放しには出来ない。

だから――――――危険の有無を観察し、仮に危険があれば処分しろ。

雪を引き取って欲しいという打診は、つまりはそう言う命令だった。
御厨はいまや衰退した家系である。邪狩りとしての力は、ほとんどない。
専用の武具も持たず、代々伝わる秘術もない。
いや、あったのかも知れないが、私は知らない。
夫も邪狩りの家系だが、同じくとうに衰退した家柄だ。
邪狩り同士で結ばれたことに、戦略結婚的な意図は微塵もない。
ただただ、好き合って結ばれたのだ。

…………本部は何を思って、私たちに雪を引き取らせたのだろうか?
まさか、お家再興をかけて結婚した私たちが子宝に恵まれないことを哀れみ、
最後のチャンスとして、この任務を与えてくれたのだろうか? 
だとすれば、大きなお世話だった。

私たちは落ち込んだ。子供の監視など、誰が望むものか。
挙句、必要とあらば殺さなくてはならない。誰が望むものか。
夫はひどく繊細な人で、重圧をかけられるとすぐに寝込んでしまうと言うのに……。

だが、いつまでも落ち込んではいられなかった。
時間は刻々と過ぎていくため、私たちは迎え入れる準備をした。
一室を子供部屋へと改装し、おもちゃや絵本を取り揃えた。
ホームセンターで、物を揃えている時は、それはそれで楽しかった。
しかし、そんな気分の高揚は長く続かない。
受け入れ準備の最後に……私たちは実家に連絡を取り、魔を祓う短刀を取り寄せた。
これで観察対象が邪と化しても、殺すことが出来る。
そう考えた私たちは、自分たちがひどく嫌な存在に思えた。

子供は……雪自身は、今をどう思っているのだろう?
邪に親を殺され、辛い目に遭ったあの子は、今ようやく新しい両親に引き取られると言うのに……。
しかし新たなその両親は、自分を殺す準備を着々と進めてもいるのだ。
不幸だと浸ることに、意味はない。だが、雪は間違いなく不幸だろう。

――――――出来ることなら、甘えさせてあげたい。

そう思った時、私は初めて雪が来ることを肯定出来た。
邪から助け出されたとは言え、本部ではきっと息苦しい日々だっただろう。
ならば、新しいお父さんとお母さんとして、私たち夫婦が雪を守ってやろう。
髪が白くても、精神的なショックで言葉がまともに話せなくても。
たとえ、邪と化して人を殺すかもしれないと、人々から疑われていたとしても。
親になった以上は、あの子を守ってやらなければならない。
私は、そう考えた。










…………………そんな気持ちは、本人を前にした瞬間、吹き飛んだ。

 ■続く■